さて、これは読者には十分だろうか。これで叔母のクッキーは再現 できるだろうか。もし再現できるのであれば、以前に別なクッキー あるいはケーキを焼いた人だろう。そういう経験が有るのならばこ の程度のメモでも十分である。しかし、そういう経験がないのなら ばこの程度のメモでは不十分でもっと詳しく書き下す必要がある。 実験の仕方のメモも同じである。最初はできるだけ詳しく書いてお く必要がある。
実際に、このメモの通りにクッキーを作ろうとしてもだめである。 なぜなら、小麦粉の混ぜ方が書いてないからだ。クッキーを作って いる人にとってはこれは常識かもしれないが、小麦粉はかき混ぜる とグルテンが作られる。これはねばねばのもとである。これができ るとクッキーが固くなるのだ。天ぷらの衣を作る際も決して小麦粉 を練ってはいけない。さらっとした天ぷらはできなくなる。したがっ て材料のまぜかたにはいわゆるレシピーと呼ばれるものがあるのだ。 ( レシピーを記録する) こういったものは、丁寧な先輩からはそのまま教えてもらえるもの かもしれないし、先輩は教えてくれないものかもしれない。あまり にもその人にとって常識的なことであったり、もともと教えられな いようなものであれば、教えてもらえない。したがって、教えても らう側が盗むしかない。
こういうのは昔からずっと行われてきているもので、徒弟制度とい うものだ。しばらく一緒に住み込んで下の人は上の人の技術を盗む ようにして学んでいく。たとえば、ここに「口(くち)」という字が ある。これが残っていたとして後世の人がまねて書くことを考える。 いろんな書き順があるだろう。そして今の書き順を再現できるかは わからない。ある技術を伝えるには書物だけではだめで人を通して のみ伝わるというものがある。
あるおばさんのよもぎもちはえらくおいしかった。そのよもぎもち をずっと食べたければ、その作り方を教えてもらわなければならな かった。そのひとが亡くなったときにその技術は失われた。たしか にたくさんの人がおばさんのよもぎもちを食べたが、再現できない のだ。もし再現できる人がいたとしたら、少なくてもおばさんよ りもずっとずっと技術を持っている人でないとできない。
これらの例え話は実験室でもそのままいえる。ある先輩の技術が必 要であれば、盗むようにして学ぶか、自分の技術を先輩のそれより も高める必要がある。そして文章ではそれらの技術は伝わらないの だ。こうして実験の初歩の初歩と題して書いているが、そもそもむ なしい作業であり、さして大した情報は読者には伝えることはでき ないというのが真相である。技術というのは文章からではなく、人 から学ぶのが一番望ましい。それでもこれが読者の一助になること を期待している。