子どもと一緒に富士登山 2004年7月19日から20日


はじめに

小学校3年生の時に家族で富士登山をして頂上まで登りました。達成 感は全然なくて、とにかく子供心にも大変だった覚えはあります。

あれからだいぶ時間が経ちまして、子供たちが同じ年ごろになりまし た。もうちょっとすると家族で動くのも難しくなるだろうから、ここ らで富士登山をすることを計画しました。しかし、とにかく日本一の 富士山に登るのですから準備はきちんとする必要があります。登山の 一年前くらいから、来年は登るんだからという意識を持って、努めて 歩くことにして、装備も整えていきました。

御殿場から見た富士山


準備

歩く:ありがたいことに一週間に一度か二度およそ4kmを歩くという ことができるようになりました。子供たちもこれが楽しみで集まって くる人たちとのとりとめもない会話を楽しんでおります。定期的にき ちんと歩くのはかなりいいですね。

靴:登山靴だけとにかく早めに買って慣すことにしました。世の中は 登山ブームのはずなのに、普通のスポーツ品店ではきちんとした靴が 手にはいりません。ちょっと遠くの登山専門店に行き購入しました。 さすがに専門店だと店員さんたちの知識が違いますし、きちんとした 靴を一発で選んでくださいます。この靴を履いてウォーキングを楽しみます。

夫婦で買った登山靴

航空券予約:バースディ割引を利用して、梅雨明けを計算し、7月 18日から21日の間に登山をするようにしました。今年は桜が咲くのも 早くて、梅雨入りも早かったから、梅雨明けは早くて夏が長いと予想 しました。

トレーニング:あと一ヶ月で登山という頃、週末に近所の若杉山 (681m)に登りました。子供たちにも2kgのジュースを持たせて、ゆっ くりと休み無しに登ることを2回くらいしました。

天気予報:7月にはいると天気予報ばかり気になります。いつ梅雨が 明けるのか。18日の週は富士山は晴れるのか。うまいことに梅雨は 11日ごろには明けはじめて昨年よりも10日早く、平年よりもすこしば かり早かったです。梅雨明け10日と申しまして、天候が安定します。 確かに富士五湖周辺はずっと天候が続いている感じになってきました。 しかし直前になって新潟豪雨とか福井豪雨という梅雨末期の豪雨があ り、18,19日は名古屋や三島は雨という予報もありました。これはど うなることか。

山小屋予約:「大陽館」に予約を入れました。天候が安定してきたの で直前でなくてもいいような感じになってきました。次の計画を練る で書きますが、ゆっくりとしたペースで登山するので無理をしない 7合目3000mのところで一泊します。


富士登山にあたって計画を練る

知人に富士登山をしたことがあるかと聞くと、結構いますね。親戚が 富士山の近くだったので、夏休みに行ったときにそのまま登ったとか、 子供が横浜にいるから、一緒に行ってみたとか。わりと簡単に思いつ いたように行っているような感じです。一方で、高山病になってすご く大変だったとかいうことも聞きました。さて、うちの家族はどうし たらいいだろう。

雑誌や本、ウェブサイトからの情報を見ると、富士登山は一見簡単そ うですが、じっくりと計画を練るのが良さそうです。どうも須走口が いいという感じになってきました。富士登山には富士吉田口、須走口、 御殿場口、表富士宮口の4つがあります。なかでも富士吉田口は 2400mまであがることができて、頂上までが短いので、人気のコース です。シーズンともなると数珠繋ぎで登っていくそうです。須走口は 2000mから始まりますが、人が少ない、林の中を抜ける登山らしさ、 変化が楽しめるということでお勧めするところが多かったです。

次に日程です。頑張れば朝から登って夕方には帰るとか、ご来光を目 的に夜を徹して登るということができます。しかしこれらは体力のな い妻には難しそうです。彼女は別に健康を害しているということは全 然ありませんが、ごく普通ですから体力があるということはとても言 えません。小学生の子供二人は瞬発力はあり、回復力も素晴らしいで すが、なにぶん根性とか持続とかいう言葉に無縁です。こうしてみる とやっぱり山小屋に一泊するのがいいような感じです。二日かけると いうことは天候の条件が整わないときには、登山をあきらめるという ことになります。休みの短い日本人の辛いところです。

ちなみに私が小学校3年の時には夕方から登り始めて、夜9時頃に山小 屋に入りました。多くの客がいてとても寝たような気がしないまま、 明け方からふたたび登りました。

今回はこれよりも楽にする日程にしました。12時に須走口についたら お弁当を食べながら1時間ほど待ちます。これで少しでも薄い空気に なれます。そこから3--5時間かけて7合目の山小屋にたどり着きます。 そこで一泊し、4:40のご来光は山小屋で見ます。さらに3--5時間かけ て頂上まで行きます。体力が残っていればお鉢巡りをして本当の頂上 である剣が峰3776mを目指します。二日目のお昼頃に山頂を出発して 下山し始め3--4時間で須走口まで戻ります。


学生さんたちも参戦

そうこうしているうちに、17日から19日の3連休を利用して学生さん たちも富士登山をすることになったんだそうです。彼らは20日には大 学にいたいということで16日からレンタカーで移動するというかなり きつい計画を立てておりました。

装備

服装:まず、頂上の気温が5度、風速10mというのに驚きました。この 数字通りだと福岡の真冬になります。きちんとした装備でないと凍え てしまいます。なのに、写真でみると半袖姿の方が多いじゃないです か。これはどうしたものなんだろう。母に聞くと寒いということはな かったということです。とはいうものの、暑ければ脱げばいいけど、 寒くて震え始めたら、山小屋が近ければいいけれども、かなり大変で す。しっかりと冬装備をすることにしました。仕舞込んだ真冬のジャ ンパーとセーターを出し、手袋も発掘しました。手袋はごつごつした 岩場の時にも役に立ちそうです。

登山靴とズボン:富士登山用に新しく購入したのは登山靴とズボンで す。登山専門店に行き店員さんとお話ししながら選びました。久住に 登ったときには普段の格好だったので、靴底も柔らかくごつごつした 石がつらかったし、化繊のスラックスでは汗でぺったりももについて かなり疲れました。きちんとした登山靴だと足をくじく危険も少なく なるし、ズボンも登山用だと伸縮性がよく負担が減ります。

スパッツが必要です。登山靴にはちょうどぴったりなのでこれで砂走 を降りるときに砂や石が靴にまったく入りません。子供たちは私の古 い靴下を使うことにしました。

雨具:雨具はかなり悩みました。富士山ではいったん雨が降ると風が 強いので上からではなくて、横殴りの雨や下からやってくるというこ とになります。こういうのに対応するにはかなりきちんとした登山用 の上下の雨具が必要です。登山をするために汗を外に出すには、例の ゴアテックスみたいな素材が必要です。これらを富士登山のためだけ に買うというのはかなりの出費です。そんな限界状況で家族は富士登 山をするのだろうか。ということで、雨が最初から降るようであれば あきらめる。途中から雨が降ってきたときには、とにかく下山できる だけの間だけ間に合う程度にする、ということにしました。山の天気 は変りやすくてちょっと我慢すればいいのかもしれませんが、不安定 な天気の時にはあきらめる勇気も必要でしょう。ということで、子供 たちは普段使っているレインコート、妻は上下のビニールの雨具、私 は昔から持っているポンチョを持っていくことにしました。雨具は最 後の防寒具にもなります。

水:山でのペットボトル500mlの値段は500円程度と分かりました。別 に無理に運ばなくてもいいくらいの値段ではあります。しかし子供た ちを含めて余裕を持って一人2リットル、つまり500mlのペットボトル で4本を持つことにしました。またこの重さを標準にしてトレーニン グをしました。

リュック:大きさは20--30リットルという話だったのですが、子供た ちには普段遠足で使っているものを使ってもらい、妻にはデイパック で、後は私が中くらいの大きさの父が使っていたものを使いました。 それぞれに防水スプレーを気休のためにして、中の荷物はビニール袋 に詰めて雨対策とします。

その他:杖はお土産や記念にもなるので金剛杖を現地で購入すること にしました。私の両親もこれをついて登山しました。

帽子は野球帽ですが、風で飛ばされるのでリュックに紐で縛り付けて おきます。

ゴーグルを一応持っていきましたが、あまりの風に役に立たず。結局 コンタクトをとってめがねとなりました。

懐中電灯は一つだけ。夜に登山をしないので、山小屋で荷物を確認す るときくらいに使います。

簡易トイレを1000円で購入しました。山小屋でのトイレは宿泊客はた だですが、100円から200円します。環境のことを考えると持ち帰れる のであれば持ち帰りたいと考えて、とりあえず購入して持っていくこ とにしました。結局子供の小が二回でしたけど。

お菓子類は気圧の低いところでぱんぱんに張れるところを撮りたいの で、それっぽいものも買いました。その他は定番のチョコレート、キャ ラメル、ヨーグルト飴とか。

耳栓、下着、タオル、ビニール袋、ウェットティッシュ、カメラ、携 帯電話、現金、薬類

結局子供たちのリュックは4kgの重さになりました。


行程

7月19日10:40 御殿場駅からバスで須走口まで。往復で大人2000円。 結構、外国人たちが多くてパンフの解説をしました。逆に7合目は 7th station、砂走はsand slideなどという単語を習いました。乗車 時間は50分くらいですが、この日は休日なので途中の138号線が混み まして1時間でした。

7月19日11:40 須走口着。大人の分の金剛杖を一本700円で買う。鈴は サービスということだったけれども、遠慮しました。休憩所のベンチ をお借りしておにぎりを食べます。天候は少しガスがかかっていてよ く見えないような感じでした。2000mの地点なので、ここで空気にな れるため1時間待つことにしておりました。

売店

7月19日12:30 須走口出発。最初は神社があり、そこの右の方が登山 口、左は下山の道があります。登山口に入ると森林で普通の山を登っ ていくという感じです。最初はもちろん元気ですが、4時間から5時間 くらいは歩くつもりで、ゆっくりと進みました。おかげで後ろからど んどん抜かれていきます。

一時間登ったところで小休止します。ゆっくり上がっているので、短 めに5分の休憩にします。水を飲み、チョコレートを食べ、写真を撮 り、すぐに歩き始めます。私にはペースはゆっくりなので、歩いてい ても止っていても同じくらいの感じでした。

高山植物

二時間ほど歩くと6合目に着きます。意外と速い感じです。この辺か ら森林限界みたいで、高山植物だけになっていよいよ富士登山をして いる感じになってきました。

7月19日15:30 さらに一時間登ったところで7合目の「大陽館」に到着。 3000m地点。子供たちは早くから山小屋を見つけていて、たどり着い ても別なものかも知れないとか言っておりましたが、最初に7合目に なったところが、この日宿泊する山小屋でした。あっけない感じ。

大陽館の売店部分

到着してお茶をもらいチェックインをします。素泊まり5000円、夕食 つき6500円、朝食までつけると7500円でしたので、夕食つきにしてお きました。朝御飯はパンの予定。夕食は5時からということで写真を 撮ったり休んだりする。妻は着いた直後は高山病ということもなく、 でもこれ以上は登れなかったかなぁという感じでした。結局ペースは 遅くしたのですが、休憩は少なくて、ほとんど標準的な登る時間になっ ていたようです。でもこれ以上遅いペースは地面をはっているような 感じでしょうし、あまり休憩が長いとかえって疲れがでるような気が します。

ところが、しばらく休んでいたら突然妻の状態が悪くなって息が苦し くなって、手足がまるでつったように強張ってきました。一生懸命息 を吐いてもらって背中をさすって5分位したら落ち着いてきました。 びっくりしました。もしかしたら人は簡単に死ねるのかも知れません。 しばらくは手足が冷たい感じが残っていてごしごしこすっておりました。

どうも水分の取り方が悪かったのではないか、ということにしました。 最初は半袖シャツで登り始めて途中で長袖を上から着ました。ちょう ど気温の具合いは気持がいいくらいで、喉はそんなに乾くという感じ ではありませんでした。それで、意識しないと水は別にいいという状 態でした。せっかく水はたくさん持ってきているから、今度からは意 識して飲むことにします。

山小屋は連休中はすごく混んだみたいで、昨晩は150人の定員までい たのではないでしょうか。この日はうってかわって予約は15名という ことでした。寝るところは定員8名と書いてありましたが、そこに4人 家族です。しかしこの幅に8人寝るのは結構大変でしょうね。布団は ばっちりあって寒くはなかったです。

7月19日17:00 夕食。普通の山小屋は常にカレーライスですが、ここ はハンバーグ定食に豚汁という豪華なメニューです。私は美味しかっ たのでひとりだけ4杯もごはんをおかわりしておりました。ごはん と豚汁はおかわりし放題です。このころには妻も回復し、子供たちは もっと元気で外に散歩に行っておりました。ただ、気温は14度でだん だん寒くなってきています。

大陽館でのハンバーグ定食に豚汁

泊まり客とお話ししたらなんと飯塚の人でした。名古屋にいる息子さ んか娘さん夫婦と一緒に登っているということでした。奥様はこの 7合目で待機するそうです。

2グループは仮眠して深夜00:30頃に出発していきました。私たちは4時に 起きて4:20ごろに出発しました。他の2グループはもっと後に出たよ うです。

7月20日4:00 起床。正直あまり良く寝れたとは言えませんでした。興 奮しているのか、まわりがうるさいせいか起きたり寝たりを繰り返し ておりました。子供たちはそれでもきちんと寝たようです。それで 4時起床もなんなくできました。パンを食べて、一人当たり500mlのペッ トボトルを山小屋に置かせてもらいました。帰りに回収する予定。

7月20日4:20 出発。ご来光は4:40と聞いていたので、ぼちぼちと出発。 上の方は良く晴ていて、鳥居とか山頂とか山小屋などが良く見えまし た。下は晴ているのに、お日様のところだけが雲がかかっている様子。 気温が10度程度になったので、セーターにウィンドブレーカーに手袋 の冬装備にします。子供たちもジャンパーを着させました。荷物を整 理すると昨日よりも若干軽い感じ。しばらく登るとほどなくご来光と なりました。前回のときにはご来光は見られなかったので嬉しかった です。

ご来光。下は山中湖(クリックで拡大)

7月20日5:00 本7合目「見晴館」通過。ここで3250m。まあまあみんな 調子はいいようではありました。一時間に5分くらいの休憩と考えて いたけれども、30--40分には一回、山小屋があったり鳥居があったり するので、そこで休むことにしました。

典型的な山小屋での値段

子供たちはお母さんがいかにも大変そうなので、それをみれば泣き言 を言っていられないということになり、妻は是非とも山頂に登ってみ たいという気持が強いです。これらの心理状況を利用しながら、家族 全員をとにかく前に進めることにします。疲れてきたお母さんの荷物 を再配分してみんなで持つことにして、私の金剛杖も渡すことにしま した。なんでも最近の流行りは両手に杖を持つことらしいです。さす がに金剛杖を二つ持っている人は珍しいとは思うけど。

ペースは前よりも格段にゆっくりとなり、一歩一歩踏みしめるように、 あるいは足に怪我をしたのではないかというくらいいたわりながら、 ゆっくりゆっくりと進みます。

8合目をすぎると富士吉田口と合流するので登る人たちが増えてきま す。また意気揚々下山していく人たちも多いです。休んでいる人た ちは様々な疲れようで、どうしようもないくらいに疲れきっている人 たちもたくさん見ました。まさに死体が累々としている状況。天気は どんどん良くなり、頂上も下の駐車場も両方とも手に取る距離に見え ます。しかし頂上には近づく感じがしない。これが富士山の恐ろしい ところです。小学校3年生の私も当時、いくら歩いても7合目から8合 目にならないといい続けて、父親から根性がないと叱られたことを覚 えています。

下を見れば山小屋や駐車場まで見える。(クリックで拡大)

上を見れば頂上の日の丸も見える。(クリックで拡大)

9合目をすぎると、ごつごつした岩場になり、膝に負担がかかる。半 分止ったのではないかというくらいのペースでぼちぼちと行きます。 気になる妻の様子は、ばてばてになって倒れている人たちに比べれば まだ表情は明るくて、高山病にもなっていない様子でした。9合目か らは山小屋がなく、後は山頂にあるだけです。風が時折すごく強くて、 コンタクトレンズにゴーグルは役に立たないので、取って眼鏡にしま す。ばさばさ砂が飛んでくることも多かったです。

子供たちと妻を一緒にするとお互いにだれるので、長男、次男、私、 妻の順にしました。子供たちには常にお母さんをみてゆっくりと行き なさいと言うのですが、それは無理な話で、少しざざっと上がって、 少し休み、またざざっと上がって少し休むを繰り返しておりました。 同じゆっくりとしたペースを作ることができないのですね。私は妻の ペースメーカーになるべく自分の呼吸があがらないくらいのペースを 作ります。

酸素ボンベを大事そうに吸っている若者をたくさん見ました。役に立 つのでしょうか。理科の実験用の酸素はあっという間になくなってし まうのを知っています。ご年輩の方でもへっちゃらな方もいます。こ うなると年齢が問題でなく、どのくらい富士山と仲よく一緒になって いるかが問題なような感じです。

頂上直下の鳥居

7月20日7:30 ついに頂上着。7合目を出て3時間あまりで到着。これも 標準的な時間になっています。あんなにペースを遅くしてもだいたい 同じくらいの時間になってしまいました。途中でばてていた人たちに 比べると逆に速いペースで上がった感じです。

頂上の様子

子供たちも妻も私も達成感があり、うきうきしております。さっそく 記念撮影などして、おばあちゃんたちに電話を入れます。便利なもの で携帯は3本アンテナが立ついい条件で使えます。携帯トイレも使っ てみました。というのが、山頂はトイレ代がもっとも高くて200円も するからです。

パンパンにふくれたお菓子の袋

7月20日7:50 お鉢巡りを始める。妻は達成感からか完全に元気になっ ていました。頑張り屋さんの次男は1時間半の火口周辺一周コース、 お鉢巡りについていくと張り切っております。現実的な長男は山小屋 で休んでいると言います。前回登ったときには、父はお鉢巡りをした のですが、残りの家族は頂上で寝て休んでいました。ようやく本当の 頂上である剣が峰3776mに行けるチャンスです。

お鉢巡りの地図

お鉢巡りは風が強いとできなくなります。実際にこの前日の19日はで きなかったそうです。この日はよく晴ていて風は確かに強いのですが、 頂上としてはまだまだ弱い方でお鉢巡りに行ける天気でした。最初は 次男と二人でお鉢巡りに行き、妻と長男は置いていこうと考えました。 しかし妻が元気になったので、長男にはここで行かないと30年間は後 悔するぞと説得して家族全員で行くことにしました。しかしこれが大 変でした。

途中2箇所くらい登るところがありますが、あとはなだらかなところ を移動するだけです。3700mの高さの妙で、ちょっと動くだけでどん どん景色が変ります。これには感動しました。東側は小山町や御殿場 市が眼下にあり、足柄山、箱根山、そして相模湾、三浦半島、千葉の 房総半島などが見渡せます。たぶん筑波山だろうという山も見えまし た。この日、東京はフェーン現象で史上最高の39.5度を記録、夜も 30度を下回らない猛暑です。山頂は歩くとちょうどいいけど、休むと きには風のないところを選ばないと寒い天候でした。

愛鷹山に伊豆半島、駿河湾。(クリックで拡大)

南にまわると伊豆半島、富士市の煙突など見えてきます。測候所もも う少しに近づきます。このころから子供たちの様子がおかしくなって きました。というのが、お母さんが元気になると甘えがでてきて、今 まで我慢していた疲れがどっとでてきたからです。長男なぞは無理に 連れてきたので、頭が痛い高山病だ早く降りようといい、次男もこん な坂道上がれないとごね始めます。

しかし、頂上までの道に比べればそれほどのことでもないのでなんと か日本最高峰富士山剣が峰3776mにたどり着くことができました。記 念撮影をします。測候所にはまだ人がいて観測を続けています。この 日の朝6時は気温7.1度、風向NW、風速8.7m、気圧650.4hPa、天候薄曇 りでした。気圧は標高0mの地上に比べていつもの2/3程度なんですね。 よく人は生きていけるものです。まもなくこの測候所も無人になると 聞きました。

(2004年8月26日をもって70年間目視による観測は打ちきられたそうで す。4人いた常駐職員も9月30日には下山し、今後は測定装置による気 圧、温度の自動測定になる。レーダー観測はすでに1999年に終わって おります。)

(2004年10月1日の正午過ぎに4人の職員が下山しはじめたそうです。 1932年7月1日から72年間の観測だったそうです。)

日本最高峰富士山剣が峰3776m

結局1時間半の予定が子供たちがぼろぼろになって二時間ほどかかり ました。北側に行くと今度は南アルプスが一望できます。富士五湖も かなり見えました。

富士山から見た南アルプス(クリックで拡大)

7月20日9:50 お鉢巡り終了。20分くらいおしるこを食べたり、友人に 電話をしたりして山頂を楽しみます。いろいろな人たちが来ており面 白かったです。山頂から「...くーん、がんばってぇ」と黄色い声で 叫んでいる下を見ればもう数mで鳥居というところで若い男性が文字 通り四つんばいで地面をはっておりました。きつかったことでしょう。 ブルドーザーがかなりの物資を山頂に運びあげています。

7月20日10:15 下山開始。子供たちには私の古い靴下を渡して、靴の 上から履き、スパッツの代りにします。最初は砂がはいらなく良かっ たらしいですが、どんどん破れていって最後は役に立たなくなってし まったようです。

特別製のスパッツ

まちがって登山道から降り始めてしまいました。須走口は下山道が砂 走になっていて山頂から快調に降りることができます。登山道とはちょっ と違うところから降りられるようになっているのに忘れてしました。 ごつごつした岩場を降りるのは結構大変でした。

途中から砂走に合流すると快調に降りられます。しかし、砂と岩が 一緒になっているところもありますから、あまり調子に乗ると大変で す。子供たちは絶好調になりました。どんどん降りられるので、7合 目まではなんとか待ってくれましたが、それから先はどんどんいって しまいました。

大人の方はあまり調子に乗ると膝を悪くするのでいくらか調整した方 がいいです。しかし、私はあまりに面白いので踵から足を下ろし、ざっ くざっくと降りました。

7合目で預けていたペットボトル4本を回収し、お礼を伝えてまた降り ていきます。須走口は下山道が分かれているので、6合目は合流せず、 砂払いという場所にたどり着きます。ここからは森林を2kmほど抜け て須走口に行きます。

7月20日12:25 森林に入り須走口を目指す。バスの時刻が13:00, 15:00, 17:00だったので、そのままのペースで13:00のバスに乗れる ように急ぎました。結局、本当に30分で森林を抜けて須走口にたどり 着くことができました。最初の神社の横にたどり着きます。

登山の始めにある神社

7月20日13:00 バスで須走口から御殿場駅へ。休み明けで渋滞はなく、 40分くらいで駅に到着しました。うどんやさんでお昼にします。この ころになると子供たちの方が復活が速くて、大人の方は充実感と疲労 感でいっぱいになっております。


学生さんたちは...

さて、学生さんたちは16日の夜に九州を出発、17日の夜9:00より富士 吉田口から登山開始したそうです。連休中のことゆえツアー客などの 登山客が多い、さらに雨が降り始めて寒くなり、かなり辛いことになっ たそうです。ツアー客は早々に残念ながらということで下山し始めま した。4人のパーティーは途中でばらばらになり、2人は山頂にたどり 着きましたが、2人は下山しています。18日の昼頃には全員集まって、 九州に戻り始めています。話を聞くとよく山頂まで行けたなぁという くらい、雨による寒さや強風による厳しさがあったようです。二日違 うだけでぜんぜん天候が違い、私たちは本当に運がよかったと思いま す。一歩間違えばこちらもこの状態になっていたわけで、そのときに はどういう判断をしたか考えようもありません。

おしまいに

無事に家族で富士登山に成功し、私たちにとって一生の思い出となり ました。子供たちはなにやら自信がついてしまったらしく、「富士登 山に比べれば...」という調子です。なによりも天候に恵まれたのが よかったようです。多くの人たちにお世話になりました。お礼申し上 げます。

確かに子供時代に親からしてもらったことはいつまでも覚えているも のですね。小学校3年生の時の富士登山は大変だったという単純な思 い出です。今から考えると父は家族を連れていくという結構大変なこ とをして、きちんと家族を頂上まで連れていっています。今回の富士 登山では私はペースがすごく遅くて体力的にはたいしたことはなかっ たのですが、家族全員を励ましてきちんと頂上まで連れていくとい うことが大変でした。

子供たちには、30年後に運が良くて結婚できて、子供ができて、家族 で富士山に行けたらいいねと話しております。さて、どうなることで しょうか。

富士登山?ちょろいもんさ!


おまけ

小学校三年生の次男が書いた 作文 があります。どうぞ。もともとは縦書きの原稿用紙に書かれていたので、二立(リットル)とか、六時十分とかいうような表現があります。大陽館の字が違っていたり、いろいろと変なところもありますが、次男の目から見た富士登山がよく書かれています。
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